あのころ

11月15日からの昔話


11月15日
酒を飲んでいたら無性に昔のことが懐かしくなり、誰かに語りたくなってしまった。ただこんな酔っ払いを相手にしてくれる人などいるはずもなく、こうしてパソコンのモニタに向かってキーボードを打っている。この画面の向こうには俺の相手をしてくれるような人などいるのだろうか。グデングデンに酔った頭ではそんなことも分かるはずもなく、果たして今打っているこの文もちゃんと意味の通ったものなのかさえも分からない。
…さすがに今日は飲みすぎたようだ。こんな状態であのころの事を書いてしまうと、あの暗かった時代もあの明るかった一時さえも全てがめちゃくちゃになりそうだ。やはり昔話は明日にするとしよう。



11月16日
さて今日も適当に飲んだことだし、始めようか。しかし何処から話せばいいものか。昨日懐かしく思っていたのは俺が小学校のときに起こったことなのだが、そこからでいいだろうか。まあ、幼稚園の頃のことはあまり記憶にないし妥当なところだろう。
小学生の頃の俺は今よりもずっと明るい人生を過ごしていた。今まで数十年生きてきて、もし自分な好きな時代に戻れるとしたら。そういう質問を投げかけられれば迷わず俺は小学生時代に戻りたいと言うだろう。それぐらい楽しんだ時代だが、同時に泣くことも少なくなかった。実際、小学校五年生頃の俺は毎日布団の下に隠れて泣いていたものだ。
その涙の原因は家族、主に兄の親に対する反抗にあった。年離れた兄は丁度反抗期に入ったばかりで、毎日毎日親に対して酷い言葉を放っていた。学校へ行かずに仲間とつるみあい、成績は下がり、電話は学校の先生からで鳴りっぱなし。久しぶりに家に帰ったと思えば、兄は母をいじめていた。母は決して兄の前で泣くことはなかったが、誰も居ないときにこっそり泣いていたことがある。それを見たとき何ともいえない気持ちになった。自分の無力さを思い知る。
続きはまた明日にするか。小学生時代の話と書いておきながら、実は家族の話だったりするのだが、しばらくしたらちゃんと小学校のことも書こうと思う。ただ昔の話と言われると一番先に家族が頭に浮かんでしまうのだ。



11月17日
兄の反抗に耐え忍んでいた母と違い、父は激しい気性だった。いや、もともとは穏やかな人だったのだが、兄の反抗期が始まった途端に怒りやすい人となってしまった。家族四人で集まったときの食事はまさに悪夢だ。どうでもいいような事さえも兄と父は真剣に対立しあい、母を困らせた。父は新聞紙を握り、顔を真っ赤にしながら「そんなに俺のことがいやなら出てけ」と言った。「何でお前の言うとおりにしなきゃいけないんだよ」と返す兄。次第に取っ組み合いになる。母はそんな状態を俺に見せたくなかったらしく、いつも部屋に行くように促していた。実際小学生の俺は何も出来ないから、部屋に行くしかなかった。部屋に行っても二人の怒声は聞こえ、小さかった俺には恐怖以外の何物でもない。止むことのない怒声に俺は怯え、布団の中へ隠れて泣いていた。しばらくして泣くことにも疲れ、気がつけばいつも朝だった。さあ、学校が始まる。俺は家に居るよりも学校にいた方がずっと気が楽だったから、急いで朝飯を食べて家を出るのだった。



11月18日
学校へ行ってしまえば俺は明るかった。担任の女教師にはどうも嫌われていたようだが、俺が学校内で嫌いな人間はその女教師だけだった。誰も俺の家庭がどんな状況だったかなんて知らずに、俺は「いつも明るくて元気なケンタ」だった。
元々バスケットボールが好きだった俺は小学校4年からバスケの朝練にも通うようになった。あの息の詰まる家にはなるべくいたくなかったから、朝早くに起きるのも辛くなかった。マンションの下の階の家へと行き、幼稚園の頃から仲の良いユウマを呼び出す。玄関に一歩入っただけで、パンを焼いている匂いがする。俺はユウマの家の匂いがすごく好きだった。いい家庭の匂いがしていた。



11月19日
ボサボサ頭のユウマが出てきた。まだパジャマ姿のユウマを見て、ユウマの母親は俺に謝りながらユウマを急かす。10分くらい経って着替えたユウマはパンを咥えたまま「いっへひまふ」と言う。マンションを出て学校へ向かって歩いていると、三回に一回ぐらいの割合でユウマの母親が忘れ物だよ、と追いかけてくる。
これはごく普通の家庭なのかもしれない。でも俺にはあまりにも楽しい一家だった。子供の頃は何度あの家に生れたかったと思ったかしれない。それぐらい大好きだった人たちだ。

…こう書いていると俺はそんなに自分の家族が嫌いだったかと疑ってしまう。それは少し違うと思う。俺は兄が嫌いだっただけだ。兄がいるだけで家の中の雰囲気がガラっと変わる。一人一人が緊張する。それがすごく窮屈に感じていた。あの頃から母は好きだったし、父も怒っていなければ嫌いではない。ちなみに今は我が家は平和である。兄の反抗期が終わって、次は俺の反抗期かと両親は心配していたが俺には反抗期というものが無かったのだ。



11月21日
昨日は飲みすぎてしまったらしく、途中から記憶が無い。朝、目が覚めると俺は半裸状態で玄関でうつ伏せになっていた。風邪を引いてしまったのか。それとも珍しく二日酔いになったのだろうか。頭が痛い。
子供の頃俺が頭を痛めていたことの一つに受験がある。地元の中学は県では有名な不良中学だったから、親は俺がそこへは行かないよう塾に通わせた。元々勉強は嫌いでもなかった。ただ塾に行くのだけは嫌だった。中学に入れば勉強浸けの毎日となるだろう。高校に入れば大学受験のために尚更勉学に勤しまなければならない。なら、なんで小学生のうちから勉強などしなければいけない。俺のクラスで中学受験をするのは、俺とユウマを含めて4人しかいなかった。他の子供達は放課後毎日のように遊んでいたのだ。一方の俺達は週に三日は塾へ通っていた。それが小学生の頃の俺にはすごく不公平に感じられた。後になって俺は地元の中学に行かなかったことを心から感謝するのだが、あのころは「友達と別れることになるのに、なんで俺は私立の中学に行こうとしているんだ」と思っていた。それでも休むことなく塾に通ったのはユウマのお陰だった。



11月24日
ユウマは大人しい子供だった。いろんな感情が抑えられずにいつも暴れまわっていた俺とは違って、むしろいつもにこにこと笑っていた。怒られても、からかわれても笑っていた。その穏やかな性格がすごく羨ましく、大好きだった。
多分ユウマは俺の家庭のことも知っていたんだと思う。親と兄の喧嘩に耐え切れなくなって家を飛び出し、近くの公園で泣いていたとき、たまたまユウマが通りかかったことがあった。「ケンタ?こんなところでどうしたん?」と聞くと同時に俺が泣いているのを見てしまった。それ以上は何も言わずにユウマは座っていた。俺が何か言い出すのを待っていたらしい。でも俺は何も言うことが出来ず、ただしゃくり声を出すだけだった。
時間も経ち、体も冷えた。涙も枯れた。そんな時、ユウマが口笛を吹き始めた。静かな公園の中でユウマの口笛の音色だけが響き渡る。
「下手だなあ」
「ひっでー。じゃあ教えてよ、ケンタ。」
「嫌だよ、面倒くさい。」
「ひでー。」
下手だといわれたのに、ユウマは再び口笛を吹き始めた。時々かすれるユウマのその口笛は彼の性格を表しているかのように穏やかだった。俺の心の中でドロドロしていた感情がユウマの口笛で幾分か浄化されたとき、それを見透かしたかのように「じゃぁ帰ろう。寒いよ」とユウマは言った。
家に帰ったのは11時過ぎだった。ユウマも俺も家族に散々怒られた。何をしていたんだと聞かれ、口笛を吹いていたと答える俺達に二人の両親はただ首を傾げるだけだった。



11月26日
ここを見ているのは何人ほどいるのだろうか。気にはなるが、俺も人の文章をあまり読むようなタイプでもないので、俺の文を読みたいと思う人なんて少ないのかもしれない。なんだここは、と思いながら来てくれた方々ありがとうございます。きちんと整理もされていないような記憶があるだけの場所ですが、酒の肴にでもしていただけると嬉しいです。
中学受験のために塾へと行くことで何が嫌だったかと言うと、おそらく一番は女子が多かったことだろう。10人クラスのうちで、男子は3人だけだった。俺とユウマともう一人、要だ。女子達はいつも好きな男の子の話やらアイドルなどのミーハーな話題をしていて、男子を寄せ付けない雰囲気があった。そんな女子達を俺と要は時々からかっていたものだが、女子の一人でもからかおうものなら後々とんでもない迫害にあうためある意味命懸けだった。からかわれた女子は得意の泣き真似を披露し、教員室へ行き、先生に俺達がいじめると訴えていた。そのたび先生は俺達の言い分も聞かずに怒号を投げるんだから、たまったもんじゃない。女は怖いもんだ、と10歳にして実感したものだった。

最近どうも体調が悪く、そして一緒に文章の方もよろしくない。言葉が見つからないのだ。酒を飲むといつもよりお喋りになるもんだが、どうも文章は酒に頼るわけにはいかないようだ。とは言っても禁酒する気などさらさらないのだが。



12月04日
吐いたものの中に血が混じるようになり、怖くなったので病院へ行ってきた。医者からはやはり酒の飲みすぎだと通告され、禁酒するはめになってしまった。だから医者は嫌いだ。俺から酒を取ったら何も残らないではないか。毎日生きるために必死にはたらく蟻の方がまだ生存価値があるというもの。さて、では始めようか。
俺は塾へ行くたびに友人の要と女子をからかっていたのだが、ある日要が俺とユウマを男子トイレへ連れさせたことがある。女子はそんな俺達を見て「やっだー、連れションしてんの。ださ!」と騒いでいて、俺達はとんでもなく恥ずかしかった。そんな女子達を気にせず要はさっさと男子トイレへ行こうとしていた。何か話があるようだ。
用を足しながら要は気まずそうに話し出した。「俺、好きな奴できちゃった」今まで毎日のように一緒にスカートめくりをしていた要が…。俺とユウマにも好きな女子は学校にはいたが、まさか要までもが恋愛するとは思いもつかなかった。しかも女子と男子の仲が悪いこの塾で。あまりの驚きで出るものが出なくなってしまった。ユウマはニコニコと笑いながら興味深そうに「誰々?」と聞いた。

「それが…竹吉先生なんだ」

俺もユウマも何もいえなくなった。



12月08日
「竹吉先生のこと好きに…なっちゃった」

竹吉先生は算数の先生だ。黒縁の細長い眼鏡をしていて、髪は常に後ろに一つにしばっている堅そうな先生だった。気が小さくて、常にせわしなく、よくどもる。
俺と要はよく先生が説明を終えるごとに言う「おおお、お、おもしろいですよね。」という奇妙な口癖を影でまねしていた。毎日のようにそんな事をやっていたものだから、てっきり要は竹吉先生のことを馬鹿にしているとばかり思っていたんだが…そういえば要は算数だけはやけに成績が良かったことを思い出した。
小学生の頃の恋というのは大抵実らない。好きという感情が愛というところまで達しないからだろうか。俺とユウマも要の告白を聞いても、単なる憧れなんだろとしか思えなかった。竹吉先生を憧れるというのはちょっと俺達には難しかったが、要はそういう趣味なんだなとだけ思っていた。あんまり相手にしない俺達に対して要は怒った。そして突然竹吉先生に告白すると言い出してしまった。要は何もかもが唐突だ。そしていつも当然のように俺達を巻き込む。今回も竹吉先生に告白するのを手伝えと言い出した。塾だと女子達がいるから告白できない。だから休みの日に竹吉先生の家に行って告白しようというのだ。
俺とユウマは顔を見合わせた。いつもニコニコしてるユウマの顔が少し歪んでいたのがなんだか面白かった。



12月11日
竹吉先生の住所を聞きだすのはそう大変ではなかった。「年賀状送ってあげるから先生、住所教えて」そう要が言うと、竹吉先生は少し嬉しそうに俺達に住所を教えてくれた。どこに住んでるかさえ分かってしまえば、あとは実行に移すのみだった。「一人じゃ心細い」と要が言うため、俺やユウマも一緒に行くことになった。
結果を先に言ってしまうと、要の告白は失敗に終わった。失敗というよりも、告白すら出来ずに終わったのだ。竹吉先生は14階建ての白いマンションに住んでいた。エレベーターで10階へと向かう途中の要は緊張のあまり、しかめ面をしている。「そんなんじゃ竹吉先生逃げちゃうよ」と俺がからかうと、要は引きつった笑いをかえしてきた。
扉の前で俺達は誰がインターフォンを押すかで揉めていた。三人とも緊張しまくっていた。心臓が飛び出るかと思うくらいに緊張していた。俺達におしつけられてユウマがインターフォンを押すと、扉の向こうから「はーい」という声が聞こえた。竹吉先生の声だ。



12月13日
しばらく待っていると扉が開いた。竹吉先生だ。竹吉先生はすごく驚いた顔をしていた。突然塾の生徒達が三人も押し寄せてきたんだから当たり前である。しかも俺達は竹吉先生の顔を見ると黙りこくってしまった。竹吉先生の登場に俺達は固まってしまっていた。
どうしよう、早く誰かなんか言ってくれ。要。要はいつ告白するんだ。俺とユウマは何をすりゃいいんだよ。沈黙の中でいろいろと考えていると、竹吉先生の後ろから「だれ?」と言いながら男の人が出てきた。竹吉先生と同じ年ぐらいの、大柄で色の黒い男の人。その人が出てきた途端、要は何も言わずにエレベーターに向かって走っていってしまった。少し遅れて俺も要を追いかけた。後ろでユウマの「ちょっと近くに来たから先生に挨拶してこうと思って!じゃ、さよなら!」という声が聞こえた。
エレベーターの前で要に追いついた。少し遅れてユウマも追いついたが、俺もユウマも何も言わなかった。何を言えばいいのか分からなかった。ただ分かっているのは要の恋は終わったということだった。

竹吉先生が結婚していたということだった。



12月18日
「…結婚してた…んだね」
「うん」

竹吉先生の家から帰る途中、俺達はずっと無言だった。20分ぐらい歩いてようやく俺達の家の近くの公園が見えてきた。ここから竹吉先生の家へ向かうときも俺達は無言だったが、その時とは空気の重さが違う。あの時はもっと高まるものがあったけど、今はそれがシュルシュルとしぼんでいるようだった。
公園のブランコに座りながらしばらく何も考えずにブラブラしていた後、「よっ」と言って要がブランコから飛び降りた。「ま、分かってたんだけどな!」そうやってニカァと笑った要の顔は段々歪んできた。「ほら、竹吉先生は大人だからさ。俺なんか相手にするわけないって、な!」自分を言い聞かせるようにそう言って、要はスタスタと俺達を置いて帰ってしまった。振られた恥ずかしさとか辛さとかそういうものがグチャグチャと混ざっているんだろう。俺とユウマもそんな要の感情に影響されて、自分が子供であることの不満のような、早く大きくなりたいと思うような、そんな思いが大きくなっていった。

「明日、要、ちゃんと塾に来るといいね」
ユウマが言った。要がどれだけ竹吉先生に惚れていたのか、詳しいことまでは分からない。でも早く立ち直って欲しいと思った。
「来るよ、多分」



12月24日
12月は忘年会やら同窓会やらが重なってしまって忙しかった。酒を飲むのは好きだ。だが、家に帰るたびに小さなベッドの中ですぅすぅと音を立てて寝ている子供を見ると心が痛む。悟は俺の子供ではなく俺の親戚の子供なんだが、二年前に引き取ってから俺が育てている。子供は嫌いじゃない。幸い、俺の恋人も悟をわが子のように愛し、俺が飲んだくれているときの面倒を見てくれている。
悟は今、俺の後ろでクリスマスプレゼントに買ってやったアニメを上機嫌で見ている。渡す前までは俺がずっと悟に構っていなかったことを怒って機嫌が悪かったのだが、プレゼントを渡した途端に目が輝き始めた。どうやら許してもらえたようだ。せめてクリスマスイヴぐらいは酒も飲まずに一緒に遊んでやろうと思う。恋人と悟と俺の三人で。

そういえば今朝、悟にプレゼントを貰った。俺の恋人と悟が二人で買い物に行ったときに恋人に買ってもらったようだ。年甲斐も無く嬉しくなってラッピングを取ると、そこには悟の好きなウルトラマンスナックと一枚のカードがあった。
「けんたおじさんへ
  めりいくりすます よいおとしを」
クリスマスと正月の挨拶とごっちゃになってるようだ。子供は時に思いもよらないことをして親を喜ばす。まさか貰うと思っていなかったプレゼントに俺も妙に喜んでしまった。子供は嫌いじゃない、アニメに没頭している悟を眺めながらそう思った。




1月4日
さて、前回の更新で話が全くずれてしまったようだ。その前の回想では竹吉先生が結婚していたことに気がついて、要が失意のどん底に落ちるというとこまで話した。では続きを話そう。

教室ではいつものように女子達がギャァギャァとアイドルの切り抜きを交換し合っている。教員室では竹吉先生を含めたほかの教師達が真剣な眼差しで生徒達の答案とにらめっこしている。いつもの風景だ。ただ要の姿はなかった。男子が一人少ないだけで俺とユウマは物凄い居心地の悪さを感じた。授業中は静かに席に座りながら、ひたすら授業が終わるのを願った。
もしかしたら要は振られたショックでこのまま塾に来なくなるんじゃないか。そう考えるとぞっとした。そうしたら男子は俺とユウマの二人だけだ。誰にでも当たり障りなく接するユウマと違って、俺は女子達には睨まれている。要と一緒に女子をからかっていたせいで警戒されているのに、どうしたらいいんだ。小さいメモをユウマとこそこそ交換し合って、今日授業が終わったら要の家に押しかけようということになった。時間が経つのが予想以上に遅くて、段々吐き気がしてきた。頼む、早く終わってくれ。




1月4日
授業が終わると同時に俺とユウマは教室を飛び出した。急いで階段を駆け下り、校舎を出たところで要を見つけた。塾の横にある駐車場で一人ニヤニヤと座っていた。てっきりショックで立ち直れないのかと思ってたのに要はやけに嬉しそうだった。

「なんで今日来なかったんだよ」
ユウマが聞くと要はより一層嬉しそうな顔をして言った。
「俺さー、好きな人できちゃった」
ユウマの問いには直接答えずそう言った。そして要は語り始めた。要の家の近くに今日女の子が引っ越してきたこと、挨拶にその家族が来たから一緒に遊んでいたこと、一目ぼれしたこと。もうすっかり竹吉先生のことは忘れたようだ。要が塾をやめないだろうという事にひとまず安心したものの、あまりの切り替えの早さに俺たちは呆れずにいられなかった。
これ以降、俺とユウマは何十回と要の恋に付き合わされ、そして要が振られるたびに彼の切り替えの早さに驚くこととなる。振られて凹んで自暴自棄になるよりもましなのだが、振られた翌日にまた違う女を好きになってるのはなんとしたことか。




1月27日
久々に東京に雪が降ったあの日、仕事帰りの俺は本屋に立ち寄った。その頃には雪も雨と変わっていて、街は薄暗い陰気な雰囲気を作り出していた。普段全く本を読まないのだが、久々に読みたかった本があった。だが何処にその本が置いてあるのかも分からず、同じ場所をグルグルと回っていると誰かが肩を叩いた。ニカニカと笑っているそいつの顔はなんだか見覚えがあるような気がした。いつまで待っても向こうはにやけているだけで名乗ろうとしなかったので「要か?」と聞いてみたら、その男はまだにやけながら頷いた。
数年ぶりに会った要は年の割りにちゃらちゃらした格好だった。趣味でいつの間にか稼げるようになってたんだ。そういって要は名刺を渡した。友人とともに会社を興したらしく、名刺には副社長という肩書きが書かれていた。昔はあんなに遊んだのに今ではまるで別世界に住んでるいるようだ。
居酒屋に入り、しばらく昔話をしたところで 「ユウマとは会ってんのか?」と要がきいてきた。「まぁ、家も近いしな」と応えると、要はユウマに会いたいと言い出した。ユウマを呼ぶことになり、あのときの三人組が再び集まる。小学校から中学、高校までの話で盛り上がり、自分でも忘れていた過去がどんどん蘇る。4,5時間話したところでまた集まろうと約束し、三人はばらばらになった。
すごくいい時間だった。丁度俺がここで昔話を書いていたせいもあるのだろう。三人で思い出話をしたことで、俺の中に溜まっていた思い出たちは綺麗に昇華していった気がする。あんなに昔に浸りたかった気持ちももう今はない。ここで思い出を語ることもなくなりそうだ。
人は年をとるごとに思い出というものを多く抱える。そしていやな事があるとその思い出を引っ張り出して「あのころはよかったなぁ」と考えがちだ。少なくとも俺はそういう人間である。過去は美しく映りがちだ。どんなに昔は楽だったと思っても、その昔でも今自分が感じているのと同じくらいの苦労を感じでいたはずだ。
昔と今で何が違うかというと、あのころはたいした思い出も持っていなかったということだ。あのころはただひたすら前を向き、大人というものに憧れ、そこを目指していた。時に大人の嫌な面を見ることもある。しかしそれでも今のように帰れる昔というものがなかった。今と昔でどちらがいいかなんて結局のところ私には分からない。昔は前だけを見ていたが、思い出といえるものもあまりなかった。今の私は何かあれば後ろを見てしまいがちだが、思い出というものがある。嫌な思い出、いい思い出、あのころの私に降りかかったさまざまなことは今の私を前に押し出してくれている気がする。
酒が尽きてしまったので今から買いに行こう。ここに書いた半分ぐらいのことは酔った私には微塵も理解できてないことは申し訳ない。自分の考えていることさえ理解できないとは。
今まで酔っ払いの思い出話に付き合ってくださった人たちには感謝する。まさか誰も見てくれると思っていなかったのだが、毎日何人かが足を運んでくれていた。また何か思い出話や日々起こったことを記す日が来るとしたら、ここのアカウントが消されない限りここでやりたいと思う。拙い私の文を読んでくれてありがとう。そして暫しの間、さようなら。


3月1日
ふと自分が三ヶ月間思い出話を書いていた場所に戻ってみた。相変わらず減らない誤字・脱字を見つけ呆れながら、子供の頃の自分を見た。たった一ヶ月前に終わったはずなのにもっと前に書いていたような気がする。
一つ変わったことがあるとすれば、それは酒の量が格段に減ったことだ。悟の心配そうな顔を見ていると、なぜか美味かったはずの酒が別段美味しいものと感じなくなってきた。いつか悟も酒を浴びるように飲む日が来るんだろうか。そんな風に遠い未来のことを憂いながら悟が好きなコーヒー牛乳を飲んだ。甘い。
スローペースにはなるだろうが、また書き始めようと思う。まだ小学生だったあの頃の思い出は続いているのだ。『あのころ』第二章ということにでもしようか。


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